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東京地方裁判所 昭和52年(行ウ)360号 判決 1981年3月30日

原告

X1

右法定代理人親権者父

A

同母

B

右訴訟代理人

鍛冶千鶴子

永石泰子

伊東すみ子

若菜允子

被告

右代表者法務大臣

奥野誠亮

右指定代理人

一宮和夫

遠藤洋一

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた判決

一  原告

原告が日本国籍を有することを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨

第二  当事者の主張

(請求原因)

一  原告は、アメリカ合衆国(以下「米国」という。)の国籍を有する父Aと日本の国籍を有する母Bの長女として、昭和五二年八月二四日東京都渋谷区広尾四丁目一番二二号において出生した。原告の両親は、同年一月二六日に婚姻しており、今後とも日本に居住する予定であつて米国で生活するつもりはないので、原告を日本人として養育することを決意し、原告の母が同年九月五日東京都港区長に対し、原告の出生届をするとともに原告を自己の戸籍に入籍させるように申し出た。ところが、国籍法(昭和二五年法律第一四七号)二条は、出生により日本国籍を取得する場合として、「出生の時に父が日本国民であるとき」(一号)、「出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であつたとき」(二号)、「父が知れない場合又は国籍を有しない場合において、母が日本国民であるとき」(三号)及び「日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、又は国籍を有しないとき」(四号)のいずれかに該当することを必要としているため、港区長は、同月一二日付書面をもつて、国籍法二条各号の規定により原告は出生により日本国籍を取得できず母の戸籍に入籍させられない旨を通知してきた。

二  しかし、国籍法二条一号ないし三号の規定は、以下のとおり、違憲である。

1 国籍法二条は、出生による日本国籍の取得について親子関係を基礎とするいわゆる血統主義を原則とし(一号ないし三号)、補充的に出生地を基礎とするいわゆる生地主義を採用している(四号)が、その血統主義は、父母両系を平等に取り扱うものではなく、正当な理由がないのに父系を優先させて母系を劣後させるものであり、国籍法二条一号ないし三号の規定はその点において性別による差別を禁止した憲法一四条に違反する。

2 国籍法二条の父系優先血統主義の規定の下において、外国人父と日本人母とがその子に生来の日本国籍を取得させようと欲する場合には、子を非嫡出子として届出をすることにより国籍法二条三号の「父の知れない場合」に該当させる方法による以外にはない。しかし、これでは、父母は法律上の夫婦であるはずなのに内縁関係という状態に、また、子は嫡出子であるはずなのに非嫡出子という状態に甘んじなければならない。このような公序良俗に反する結果を生じさせる国籍法二条一号ないし三号の規定は、個人の尊重を定めた憲法一三条及び家庭生活における個人の尊厳と両性の平等を定めた憲法二四条二項に違反する。

3 原告は、国籍法二条各号の規定により日本国籍を取得できないとされているにとどまらず、次の事情により父の有する米国国籍をも取得できないため、結局のところ無国籍者とならざるを得ない。日本人を母として出生した子に対してこのような重大な不利益を生じさせる国籍法二条一号ないし三号の規定は、この点においても個人の尊重を定めた憲法一三条及び一四条に違反する。

原告が父の有する米国国籍を取得できないのは以下の事情による。米国の一九五二年移民及び国籍法三〇一条によれば、両親の一方を外国人とし他方を米国市民として米国及びその海外属領以外で出生した者は、米国市民である親が子の出生に先立ち米国若しくはその海外属領に通算一〇年以上(そのうち少なくとも五年以上は一四歳に達した後であること)居住したのでなければ、出生により米国国籍(市民権)を認められない、と規定している。ところが、原告の父は、昭和三年にハルピンで出生し、同六年日本に、同八年旧満州に、同一一年日本に移住し、同三三年日本の大学を卒業後同三五年米国に移住し、ニューヨークでコロンビア映画会社に入社し、社命により翌年日本に、同四〇年プエルトリコに赴任した。そして、同人は、同四三年、プエルトリコ滞在中に米国への帰化を申請して同年五月二三日その許可を受け、ついで右会社日本支社長を命ぜられて再度日本に移住し現在に至つている。このように、原告の父の原告出生前における米国若しくはその海外属領での居住期間は一〇年に満たないので、原告は出生により米国国籍を取得できないのである。

三  そこで、出生による日本国籍の取得については、父母の血統を平等に扱うべきであり、国籍法二条一号は、出生の時に父又は母が日本国民であるとき、同条二号は、出生前に死亡した父又は母が死亡の時に日本国民であつたとき、を意味するものとして解釈すべきである。したがつて、出生の時に母が日本国民である原告は、出生により日本国籍を取得したものである。

四  よつて、原告が日本国籍を有することの確認を求める。

(請求原因に対する認否)

一  請求原因一のうち、原告の両親が今後とも日本に居住する予定であつて米国で生活するつもりがなく、原告を日本人として養育することを決意したことは不知、その余は認める。なお、原告の出生届は、港区長において、日本の国籍を有しない者に関する届出として昭和五二年九月五日に受理している。

二  同二のうち、原告が出生により父の有する米国国籍を取得できない事情にあることは不知。その余は争う。

三  同三は争う。

(被告の主張)

一  出生による日本国籍の取得について定める国籍法の規定に関しては、次のとおりそもそも憲法問題は生じない。

憲法は、国籍については、離脱の自由を定める(二二条二項)ほかは、「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」(一〇条)としているにとどまり、いかなる範囲の者を出生により日本国民とするかについて何らの具体的な定めをしておらず、血統主義の採用すらも命じていない。また、国際法においては、国家がその国の国民たる資格要件を定めることはその国の専権に属するとされていて、出生による国籍決定について国際法上も何らの要請もない。そうすると、憲法は、出生による日本国籍の取得について全面的に国会の立法政策に委ねているのであり、日本人の親に対し日本国籍を子に継承させる権利ないし法的地位とか、日本人を親とする子又は日本国内で出生した子に対し生来的に日本国籍を取得する権利ないし法的地位といつたものを保障しているものではない、というべきである。したがつて、国籍法が父系優先血統主義を採用しても、これについては立法政策上の当否が問われ得るにとどまり、違憲ということはそもそも生じないのである。

また、子の国籍の取得につき平等原則違反を主張するためには、親に対する憲法一四条の適用は問題となり得ず、子自身に対して同条が適用されなければならないが、同条に定める平等保障は日本国民であつてはじめて享受し得るものであるから、日本国籍を取得するか否かという憲法一四条適用以前のその前提問題を決する際に、同条に違反するという事態が生じる余地は論理的にあり得ないのである。したがつて、同条の平等原則を婚姻及び家族に関する事項について具体化した憲法二四条二項違反の問題も生じ得ない。

二  国籍法二条一号ないし三号の規定の趣旨は以下のとおりであつて、子の日本国籍の取得につき父系と母系とを差別したものではなく、合理的根拠に基づくものである。

1 国籍法が制定された昭和二五年当時、多くの諸外国、特に日本と密接な関係にある韓国及び中国(当時の中華民国)は原則的又補充的に血統主義を採用し、かつ父系の血統主義を基本としていたので、母が日本人たる嫡出子及び父が日本人たる非嫡出子は少なくとも他方の外国人親の国籍を取得するのが通例であり、もし日本が父母両系血統主義を採用するならば、右のような子は常に二重国籍者とならざるを得なかつた。また、この場合に、父が日本人たる嫡出子及び母が日本人たる非嫡出子は逆に外国人親の国籍を取得しないのが通例であるから、これに日本国籍を付与しないとすれば、そのような子は無国籍者とならざるを得なかつた。そこで、国籍法二条は、専ら国籍の積極的抵触(重国籍)及び消極的抵触(無国籍)を防止する見地から、嫡出子の場合には父系主義(一号及び二号)、非嫡出子の場合には母系主義(三号)を採用したものである。

このように、国籍法二条一号ないし三号の規定は、親の国籍を子に継承させるという考え方とは無縁なものであるから、右規定をもつて国籍の継承のさせ方の点において性別による差別を定めたというのは、前提を欠くというべきである。右規定は、右のとおり国籍抵触防止の見地から、嫡出子につき父系主義(一号及び二号)、非嫡出子につき母系主義(三号)を採用したものにすぎず、父母相互の法律上の地位に差別を設けたものではない。

なお、右の立法趣旨並びに国籍法が旧国籍法(明治三二年法律第六六号)時代の夫婦国籍同一主義及び親子国籍同一主義を廃止していること等から明らかなように、国籍法二条一号ないし三号の父系主義は旧法時代の家父長制とは無縁のものである。

2 右にみたとおり、国籍法二条一号ないし三号の規定は、国籍の積極的及び消極的抵触の発生を防止しながら、日本人と外国人との間に生まれた子に日本国籍を付与する方法としてやむを得ない合理的なものである。

もつとも、子が父又は母と国籍を共通にすることは親子双方にとつて利益であり、更に、子が父母双方の国籍を取得して重国籍者となつても、双方の本国の保護を受けられてかえつて利益であり、原告主張の父母両系血統主義は右の点で好ましいものである、との考えもあるかもしれない。しかし、個人の利益と国家の利益とは必ずしも一致するものではなく、重国籍の発生防止という国益も正当に保護されなければならないのである。わが国では、旧国籍法時代以来、他国に例がないほどに重国籍の防止に極めて忠実であり、国籍法四条五号、八条ないし一〇条の規定はその表われである。

3 国益の見地からみて重国籍の発生を防止しなければならない所以は、まず、重国籍が国際私法の準拠法について本国法主義を採用している諸国に対し準拠法の決定を困難にするからである。また、それ以上に問題となるのは、外交保護権の衝突と忠誠義務の衝突をもたらすことである。前者は、複数の国が同一個人に対し外交保護権を行使できるか、殊に一方の国における個人に対する処遇について反対の利害関係を有する他方の国がこれを行使できるか、という問題であり(この点については、一九三〇年に成立した「国籍法の抵触についてのある種の条約」の四条で一応の手当がされているが、これは未だ確定的な国際慣行とはなつていないといわれている。)、後者は、同一個人が一方の国における兵役義務等の要請に従つたときに他方の国において反逆罪等を理由に処罰されないか、という問題である。このように、重国籍については外交上の紛議の種となるので各国ともその対策に努力しているが、わが国のように国籍の離脱を自由に認めるものは少なく、これにつき政府の許可を必要としたり離脱できる者を制限したり、している国が多い。したがつて、重国籍の発生を認めたうえで事後的にその解消を図るという方法は困難であり、各国とも重国籍の発生自体を未然に防止する方向で努力しているのである。

なお、最近、ヨーロッパの一部やカナダ、メキシコ等の諸国が父母両系主義を採用するに至つたが、これらの国も、もとより右主義によつてもたらされると予想される重国籍状態を望ましいとするものではなく、右主義を採用する一方で、国籍の喪失、離脱、放棄及び多数国間ないし二国間の国際条約の締結(ヨーロッパ諸国間では、一九六三年に「重国籍の減少及び重国籍者の兵役義務に関する協定」が成立している。)等の方法により、重国籍の防止に特段の配慮をしているのである。また、父母両系主義を採用しながらも国籍唯一の原則を貫いている国(ソ連等)もある。これに対し、わが国が最も考慮すべき相手国はその日本在留者数が約六六万人に及ぶ朝鮮と同じく約五万人の中国であるが、両国はいずれも分裂国家的状態にあり、中国では国籍法も未だ定められていないから、両国との間に重国籍解消のための条約を締結することは困難である。

三1  原告は、親が子に自己の希望する国籍を取得させることができることを前提に、国籍法二条一号ないし三号の規定の下において子に母の日本国籍を取得させようとすれば、公序良俗違反の結果を生じさせるほかないから、右規定は違憲である、と主張するが、そもそも、子の国籍の決定は子自身と国家の問題であり、親は子の国籍を選択する固有の権利を有するものではない。したがつて、子の国籍に関する父母の主観的な希望ないし意図は、子の出生による国籍の取得とは無関係であり、原告の主張は前提において失当である。また、原告が援用する憲法二四条二項の規定は家族生活における個人の尊厳と男女の平等を定めたものであつて国籍の得喪とは必然的な関係はなく、家族関係と国籍関係とを結びつける原告の主張は、夫婦や親子の国籍の同一性を規定していた過去の考え方に通じるものである。

2  原告は、また、国籍法二条一号ないし三号に規定の故に原告が無国籍となるので、右規定は憲法一三条及び一四条に違反する、と主張するが、原告が無国籍となるのは、米国の国籍法規と日本の国籍法とがたまたま消極的に抵触するからであり、日本の国籍法の規定のみからもたらされる結果ではない。国籍法規は、諸国でそれぞれ独自に制定変更されるのであり、その世界的な統一が不可能である以上、またまた例外的に無国籍者が発生してもやむを得ないというほかなく、これだけで直ちに憲法違反ということはできない。このような場合に日本国籍を取得しようとすれば帰化の方法によればよいのであり、この帰化はほとんど無条件に近い(国籍法六条二号)のである。

四  仮に、国籍法二条一号ないし三号の規定が違憲であるとしても、次のとおり、そのことから直ちに原告が日本国籍を有するとの結論は導かれない。

1 裁判所の有する法令審査権は、裁判所がある法律の規定を憲法違反と判断した場合に当該規定を適用して裁判をすることができないことを要請するにとどまる。すなわち、それは立法に代わり無から有を生じさせる作用を営むことはできないのである。したがつて、仮に国籍法二条一号ないし三号の規定が違憲であるとすれば、日本人を父とする嫡出子であつても日本国籍を取得できないという結果が生じるだけで、原告が日本国籍を取得することになるわけではない。

2 また、国籍法二条一号ないし三号の規定が違憲であり、かつ、解釈によつてこれを是正できるとしても、原告主張の解釈だけが可能な唯一のものではない。元来、国家がどの範囲の者を自国の構成員たる国民とすべきかは、各国のおかれた歴史的事情、国内事情及び国際環境等に大きく左右されるものであつて、その意味から極めて高度の政策的判断を要求されるのである。したがつて、例えば国籍法二条一号の規定が違憲であるとしてこれを是正するとしても、原告主張のように「出生の時に父又は母が日本国民であるとき」とするだけが唯一の途ではなく、「出生の時に父及び母が日本国民であるとき」とすることも可能であり、更に、「出生の時に父又は母が日本国民であるとき」とした場合でも、その「父又は母」を生来の日本国民に限るとするか、一定の居住要件を要求するか、子の出生地が国内であるときに限るか等について選択の余地があるのであり、また、国籍唯一の原則を貫くのかどうか、重国籍防止のための諸規定(国籍法四条五号、八条ないし一〇条)を改廃するかどうか等についても慎重な検討を必要とする。このような場合、国会が国籍法を改正して政策上最も適当な立法をすれば問題はないが、裁判所が解釈の名の下に右のような複数の選択肢の中から特定のものを選び出すことは司法権の性質上許されないのである。以上のとおり、原告主張の父母両系血統主義を採用するには国籍法の改正が必要なのであり、解釈によつて同じ目的を達成することはできないのである。

(被告の主張に対する原告の反論)

一  出生による日本国籍の取得が憲法問題であることについて

今日の国際社会は複数の国家の集合から成り立つのであり、かつ、すべての個人は、いずれかの国家に所属することによりはじめて市民的、文化的生活及び政治的、経済的、社会的活動の自由を保障されるのであるから、単位国家の構成員となることすなわち国籍の取得は、人間として生存し右の保障を享受するための不可欠の要件であり、人間の尊厳に根ざす基本的権利の一つとして把握されるべきである。民主主義体制下の法治国家においては、国民は市民権的個人的権利としての国籍権を享有するのである。昭和五四年にわが国が批准した市民的及び政治的権利に関する国際規約二四条も、「すべての児童は、国籍を取得する権利を有する。」と規定し、国籍の権利性を宣言している。そして、諸国の立法が、子は血縁又は地縁によつて連結された社会の構成員として教育を受けその文化を継承していくものであることに一つの根拠を置いて、血統的身分を基準とする血統主義又は地縁的身分を基準とする生地主義のいずれかを採用していることに照らすと、少なくとも日本と血縁又は地縁において結ばれて出生した子、とりわけ日本人を親とし日本で教育を受けて成長する子にとつては、出生により日本国籍を取得することこそが人間に等しく認められるべき前記の国籍取得という基本的権利の具体的内容であるというべきである。憲法前文が「日本国民は……われらとわれらの子孫のために……主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」とうたつていることや、国籍法が血統主義の採用を表明していることからすると、憲法も、日本国民を親として出生した子が日本国民となること、すなわち子にとつての生来的日本国籍取得権及び親にとつての日本国籍継承権を承認しているというべきである。以上のとおりであるから、原告が出生により日本国籍を取得するか否かは、右のような基本的権利が侵害されるか否かという点でまさに憲法問題である。

被告は、日本国籍取得の基準は憲法上の制約なしに定めることができ、それは基本的人権享受以前のことで憲法問題たり得ないと主張するが、立法はすべて憲法の制約を受ける(憲法九八条一項)のであるから、日本国籍取得の基準を定めた国籍法も、当然に憲法の制約を受け、その精神に背くことは許されないのであり、被告の右主張は今日の国際社会において通用する余地のない見解である。被告の論法に従えば、憲法に明文規定さえなければ国は主観的好悪によつて国籍を定めるという立法も妨げられないこととなり、例えば、極端な独善的民族優越主義に基づく国籍決定基準を定めても憲法上何ら問題が生じないという不当な結果が導かれるのであり、到底是認できない。

二  子が親の性別による差別の違憲性を主張できることについて

わが国の血統主義のように出生による子の国籍の決定を親の性別にかからせる限り、子の国籍は常に親との関わり合いにおいて不可分的に生ずるものである。すなわち、出生による日本国籍の決定について父母の性別によつて差別することは、結果として子に差別をもたらすことになるのである。このような場合は、親と子を切り離して無関係に論ずべきではなく、子は、親の性別による差別を子自身の受ける「性による差別」として主張できるものである。

三  国籍法二条一号ないし三号の規定が父母を差別するものであることについて

父系優先血統主義は、被告主張のようなイデオロギー的に無色の単なる法技術であるのではなく、父母の法律上の地位そのものを差別する思想に深く結びついているものである。沿革的には、父系優先血統主義は夫婦国籍同一主義と一体となつて家父長制を支えるものであつた(この場合には、母子ともに父と同一国籍となる。)。その後、家父長制の崩壊、両性平等思想の発達等により、諸国で夫婦国籍同一主義に代わり夫婦国籍独立主義が採用されることとなつたが、真の意味の家父長制の廃止を実現するためには、この時に父系優先血統主義も父母両系血統主義にとつて代わられるべきであつたのである。現に、父母両系主義の採用にまで到達した国は少なくなく、例えば、父系優先血統主義をとつていた西ドイツでは、既に一九六三年(昭和三八年)の国籍法改正により「ドイツ人女の嫡出子はそうしないとその者が無国籍となるときは出生により母の国籍を取得する。」との規定を設けたが、連邦憲法裁判所は、一九七四年(昭和四九年)。この規定をもつてしてもなおドイツ基本法の平等原則に抵触すると判断し、同年国籍法はこれに沿つて再改正されているのであり、そのほか、フランス、スイス、カナダ、デンマーク、スウェーデン等においても父系優先血統主義を改めて両性平等原則に合致させる法改正が行われている。ところが、わが国では、昭和二五年の国籍法制定時に夫婦国籍同一主義を廃したものの、父系優先主義は残存させているのであり、これは、子を家長たる父の系列下におくべきであるとのイデオロギーから脱却していないことを示すものにほかならない。これを差別とは無縁な単なる法技術上の所産であると主張するのは正しくない。

また、被告は、国籍は個人の権利ではないから差別の問題を生じないと主張するが、これは、前記一で述べた国籍の権利性を看過したもので、基本的に受け入れ難い。更に、被告は、国籍法二条一号ないし三号の規定が嫡出子の場合に父系主義、非嫡出子の場合に母系主義を採用したものであるとして、あたかも平等原則違反がないかのごとき主張をするが詭弁である。なぜなら、異国籍者間に生まれた子について、日本人父は常にその子に日本国籍を継承させ得るが、日本人母は父が知れている限りその子に日本国籍を継承させ得ないからであり、右規定はまさに父系優先を定めているのである。

四  国籍法二条一号ないし三号の差別に合理性がないことについて

被告は、父系優先血統主義を採用する根拠として重国籍の防止を強調するが、それなら、何故、国籍法九条が二重国籍の発生を許してこれを放置しておくのか理解に苦しむところである。のみならず、父系優先血統主義を採用しても、それにより重国籍についても無国籍についてもその発生を完全に防止することはできないのである。すなわち、生地主義国において日本人父から出生した子は二重国籍者となり、また、父母両系血統主義国の母と日本人父との間に生まれた子も二重国籍者となる。逆に、日本国内で生地主義国の父と日本人母との間に生まれた子は無国籍者となるのであり、原告はこのような事例に該当するものである。

したがつて、国籍の抵触防止は父系優先血統主義の採用とは全く別の方法で解決すべきであり、かつ、現実にそのための解決方法が存在し、父母両系主義を採用するに至つた国では既に実現をみているのである。例えば、西ドイツでは、二以上の国籍を有するドイツ人はドイツ国籍を放棄することができると定め、フランスでは、両親の一方のみがフランス人であつてフランスで生まれなかつた子は、成年に達する前六か月間にフランス人の資格を放棄する権利を有すると定め、米国では、出生によつて米国国籍及び外国国籍を取得した者がその外国国籍の恩恵を自発的に求めたり主張した場合、原則としてその外国に二二歳以後三年間引き続き居住することによつて米国国籍を喪失するとしている。その他、人道主義的観点からの重国籍解消のための国際的努力の表われとして、一九三〇年ハーグにおいて成立した「国籍法の抵触についてのある種の問題に関する条約」にも留意すべきである。

以上のように、父系優先血統主義は、被告の強調する重国籍防止を実現し得ない無力なものであり、かつ、時代の流れを無視した不当なものである。三で述べたように諸国において父系優先血統主義の改正が行われている事実は、父系優先血統主義による重国籍の回避という立法技術がもはや過去のものとなり、両性平等原則の前に道を譲らざるを得なくなつたことを示しているものといえる。したがつて、憲法一四条の平等保障条項に背いてまでこれを維持するだけの合理性は到底存在しないのである。

なお、本件は帰化による国籍取得を取り上げているのではないが、被告がこれを主張するので一言するに、国籍法上、帰化は権利としては認められず法務大臣の専権的裁量とされており、また、実務上も被告がいうようにたやすく許可されないばかりか、父が帰化を望まない場合には帰化の申請すら不可能である。したがつて、日本人母の子が日本国籍を取得することができないときは帰化をすればよいとの被告の議論は実務を無視したものというほかない。

五  国籍法二条一号ないし三号の規定が違憲であれば原告が日本国籍を取得することについて

原告が国籍法二条一号ないし三号の規定を憲法一四条に違反すると主張している趣旨は、血統主義の具体的適用において父系を優先させ母系を補充的にしていることが性別による差別であるということである。血統主義とは、子が親の国籍を生来取得することをいうのであるから、その親を父だけに限定したことが違憲なのであり、「親」はこれを両親と解釈すべきである。このように、原告は、国籍法の右規定そのものを無たらしめようとしているのではなく、右規定が本来あるべきように合憲的に解釈、判断すべきことを主張しているものである。

被告は、国籍法二条一号ないし三号の規定が違憲とされた場合にもこれを是正する手段が複数考えられるところ、裁判所がその中から特定のものを選び出すことは司法権の性質上許されない、と主張するが、わが国の違憲立法審査権は、立法そのものの無効を宣言することはもちろん、その後の合憲立法の制定を予期して経過措置的手当を指示することも認められていないのであり、このことからすると、憲法は、裁判所に対し、違憲法令の適用を排除したあと、当該事案について正当な権利救済を図るための合憲的解釈をすべきことを要求しているものと解すべきである。そうでないとすると、本件の場合には適用すべき法律が存在しないこととなり、原告は日本人であるとも日本人でないともいえないこととなるが、日本人から生まれた子を日本国籍取得不明という状態で放置することは社会生活上も人道上も許されない。

第三  証拠《省略》

理由

一米国国籍を有するAと日本国籍を有するBとが昭和五二年一月二六日婚姻したこと、原告が同年八月二四日東京都渋谷区広尾四丁目一番二二号において右両名間の長女として出生したものであること、原告の母が同年九月五日東京都港区長に対し原告の出生届を提出し自己の戸籍に原告を入籍させるよう申し出たが、国籍法二条各号の規定により原告が日本国籍を取得していないとの理由により右入籍を認められていないことは、当事者間に争いがない。

また、<証拠>によれば、米国の移民及び国籍法(一九五二年一二月二四日法律)三〇一条(a)項(7)号においては、両親の一方を外国人とし他方を米国市民として米国及びその海外属領以外で出生した者は、米国市民である親が子の出生に先立ち米国若しくはその海外属領に通算一〇年以上(そのうち少なくとも五年以上は一四歳に達した後であること)居住したのでなければ、出生により米国国籍を取得するものではない、と定められているところ、原告の父Aは、無国籍者の子として昭和三年にハルピンで出生し、その後ほとんど日本で育ち、日本の大学を卒業後米国に移住して米国の映画会社に入社し、勤務のために米国及びその海外属領であるプエルトリコに通算約五年ほど居住して昭和四三年帰化により米国国籍を取得し、昭和四四年ごろ以降は同社日本支社長として日本に居住しているのであり、右条項に定める居住要件を満たさないためその子である原告は出生により米国国籍を取得しないことが認められ、これに反する証拠はない。

したがつて、原告は目下無国籍者として取り扱われているものであり、このことは成立に争いのない甲第四号証によつて明らかである。

二1  国籍法二条は、出生により日本国籍を取得する場合として、「出生の時に父が日本国民であるとき」(一号)、「出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であつたとき」(二号)、「父が知れない場合又は国籍を有しない場合において、母が日本国民であるとき」(三号)及び「日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、又は国籍を有しないとき」(四号)の四つの場合を定めている。これによれば、国籍法が、出生による日本国籍の取得につき、親との血縁関係を基礎とする血統主義を原則とし(同条一号ないし三号)、出生地との地縁関係を基礎とする生地主義を補充的なものとする(同条四号)とともに、血統主義の適用に関しては、父の国籍を第一次的基準とする父系優先主義、すなわち、父が日本人である場合には、母が外国人であつても子に日本国籍を与えるが、父が外国人である場合には、父が知れないか又は無国籍であるため子が父の国籍を取得できないときを除き、母が日本人であつても子に日本国籍を与えないとする主義を採用していることは、明らかである。

2  右の父系優先血統主義は、それ自体としては、夫婦国籍独立主義の下で子が日本国籍を取得するか否かについての一般的基準であるにすぎない。しかし、日本人と外国人との間に生まれた子が日本国籍を与えられないときは、わが国において憲法の定める基本的人権の保障を完全には享受し得ず、例えば、出入国及び在留の制限(出入国管理令四条、二四条等、外国人登録法三条、一三条、一八条等)、参政権及び公職の制限(公職選挙法九条、一〇条、地方自治法一二条、一三条、国家公務員法二条七項、人事院規則八−一八第九条、同一−七、外務公務員法七条等)、職業及び事業活動等の制限(公証人法一二条、弁理士法二条、水先法五条、電波法五条等)、財産権の制限(外国人土地法一条、四条、鉱業法一七条、船舶法一条、航空法四条、特許法二五条等)、社会保障の制限(生活保護法一条、二条、児童扶養手当法四条、国民年金法七条、九条等)などを受けるに至るのであるし、また、日本国籍を有しない子は日本人親の戸籍にも記載されないこととなつているため、戸籍によつてその存在を証明し得ないことからくる不利益ないし不都合も少なくない(例えば、予防接種や就学の通知を受けられないなど)。このように日本国籍の有無が社会生活における各種の関係において極めて重要な意義を有することにかんがみれば、日本人の子が出生により日本国籍を取得するか否かは、当該子にとつてのみならず、親にとつてもまた、その法律上の利害に密接な関係をもつ事柄であると考えられる。

したがつて、国籍法二条一号ないし三号の規定が、親の国籍を基準として子の日本国籍の取得を決定するにあたり、父の国籍を母の国籍より優先させているのは、単に抽象的に日本国籍取得の基準を母の国籍ではなく父の国籍に求めたというにとどまらず、これを子の立場からみれば、両親の一方のみを日本人とする子の中で日本人親の性別のいかんにより日本人母をもつ子を日本人父をもつ子に対して差別することであるとともに、親の立場からみても、日本人父は常に子と国籍を同じくすることができるのに対し、日本人母は原則としてそれが認められず実質的不利益を受けることがあるという点で、子との関係における父母相互の地位に差別を設けるものであるといわなければならない。被告は、右規定は嫡出子について父系主義(一号及び二号)を、非嫡出子について母系主義(三号)を採用したものであると主張するが、非嫡出子の場合でも、日本人父は胎児認知(民法七三条)をし又は子の出生と同時にこれを認知することにより、出生時に法律上の父子関係を成立させ、子に出生による日本国籍を取得させることができるのであつて、嫡出子か非嫡出子かによつて父系主義と母系主義の適用が区分されているわけではないのである。

3  ところで、右に述べた父系優先血統主義は、父母の性別を基準とするものであつて、子の性別による差別ではない。しかし、父系優先血統主義の直接的効果として、子は自己が生来的日本国籍を取得できるか否かを一方的に決定されるのであり、前記のような国籍の重要性を考えれば、子としては、右国籍決定基準の定め方における父母の性別による差別の違憲性を主張するにつき実質的かつ具体的利益を有するものである。また、父系優先血統主義が子の国籍決定に関する基準であることからいつても、その違憲性は子自身を当事者とする子の国籍に関する訴訟においてこれを争わせるのが最も適切であり、それ以外に母自らが独立の訴訟で右の違憲性を主張することは理論上も実際上も不可能に近い。これらの点を考えると、右国籍訴訟の当事者である子は、その訴訟において、父系優先血統主義をとる国籍法の前記規定につき父母の性別による差別を理由としてその違憲性を主張することができるものと解するのが相当である。

三被告は、日本国籍取得の基準をいかに定めるかは立法政策の問題であつて、およそ憲法問題は生じないと主張する。

確かに、憲法は、日本国籍の取得につき、「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」(一〇条)と規定するのみで、他に格別の定めをしていない。しかし、国籍の得喪すなわち国民たる資格の決定の問題は、国家構成の基本に関するものとして、本来国の最上位法たる憲法をもつて規定すべき事項である。また、国籍は、国と個人との間の個々の権利義務の集合体のごときものではないにしても、具体的内容を伴わない単なる抽象的記号のごときものではなく、国籍の有無によつて基本的人権の保障が直接左右されることもあり得るという意味で個人の憲法的利益に必然的に関わりを有するものであり、恣意的な国籍得喪の定めの故に本来受けられるはずの右基本的人権の保障を受けられないという事態を招くことは、もとより憲法の許容するところではないと考えられる。このような見地からすると、憲法一〇条の前記規定は、国籍の得喪についていかなる基準も法律で自由に定めることができるとしているものではなく、国籍の得喪に関する事項が憲法事項であるとの前提に立つたうえで、その内容の具体化を法律に委任したものであり、右立法による具体化にあたつては、憲法の各条項及びそれらを支える基本原理に従いこれと調和するように定めるべきことを要求しているものと理解すべきである。したがつて、国籍法の規定が右の趣旨に違反するときは、違憲の問題が生じることは当然というべきである。

このように憲法の精神に反する国籍得喪の定めをすることは許されないが、このことは、国籍の得喪につき個人が国籍法の規定をまつことなく当然に一定の内容の具体的権利をもつことまでを意味するものではない。憲法の前文その他の規定をみても、日本人たる親がその子に日本国籍を継承させ、また、その子が親の日本国籍を取得することをそれぞれの権利として憲法が直接保障しているものと解すべき十分な根拠は認め難い。もともと、国籍は、主権、領土及び国民から成る政治的組織体としての国家の構成員たる資格にほかならないから、いかなる要件を具えた者に当該国家の国籍の保有を認めるかは、民族、宗教、政治、経済など国家成立の歴史的背景に由来するそれぞれの国家の基本的性格や指導理念を基礎とし、更に人口問題や国防上の要求等の政策目的をも考慮して決定されるものであり、その性質上立法府に与えられている裁量の範囲が広汎なものであることは、これを認めなければならないのである。

また、被告は、憲法一四条の平等保障は日本国民であつてはじめて享受し得るものであるから、その前提問題である日本国籍の有無を定める国籍法の規定につき憲法一四条違反を論じる余地はないと主張する。しかし、憲法一四条の趣旨は、特段の事情の認められない限り、日本人以外の者に対しても類推されるべきものであるし、また、仮に、日本国籍を有することが同条の平等保障を享受するための前提をなすものであるとしても、本件は、まさに右平等保障に違反する国籍法の規定によつて日本人の子が日本国籍の取得を妨げられているということが争いの対象となつている場合であるから、当該子が右国籍法の規定によれば日本国籍を取得しないからといつて、右規定の平等保障違反が問題たり得ないと解すべきではない。

四そこで進んで、国籍法二条一号ないし三号の規定が原告の主張するように憲法の平等原則に違反する不合理なものであるか否かについて判断する。

1  <証拠>並びに鑑定人山田鐐一、同早田芳郎及び同澤木敬郎の共同鑑定の結果によれば、出生による国籍の取得に関する立法主義は、血統主義と生地主義とに大別され、世界各国はおおむね右両主義のいずれか一方を原則とし他方を何らかの形で補充的に取り入れた折衷的立法をしていること、そして、原則的あるいは補充的に血統主義を採用している諸国においては、ヨーロッパ及びアジア地域を中心として父母の血統のうち父の血統を第一次的基準とする父系優先主義をとる立法例が少なくなかつたが、近年フランス、西ドイツ、スイス及びスウェーデン等において父母双方の血統を平等に取り扱う父母両系主義に改めるに至つたことが認められる。

ところで、国籍の得喪に関する事項は、伝統的に各国の国内管轄事項であるとされ、超国家的な統一原則が定立されないまま、各国ともそれぞれの歴史的沿革や国策等に基づいて独自の立法をしているのが現状であるため、その当然の結果として、異国籍者間に出生した子などについて国籍の積極的抵触(重国籍)又は消極的抵触(無国籍)という事態が発生するのを避けられない。そして、重国籍の場合には、自国の国籍の存在を主張する各国家は、一方において、同一の個人に対して兵役義務その他の国民としての義務の履行を要求し、当該個人をして去就の決定を不可能ならしめ、これを著しく不利益な地位におくとともに、他方において、これらの各国家は、当該個人に対する外交保護権の行使あるいは犯罪人引渡等をめぐつて相互に対立し、国際紛争を惹起するおそれがあるばかりでなく、国際私法の対象となる渉外的要素の有無の判断や、その準拠法としての本国法の決定にも困難が生じ、更に、重国籍の一方が自国籍であるときは、外国人に対する各種の権利制限を定めた国内法を当該個人に適用し得るか否かを解決する必要にも迫られる。他方また、無国籍の場合には、国籍を前提としてのみ享受し得る国内居住権や参政権等がいずれの国においても保障されず、殊にその者の利益を最終的に保護すべき国家がないことになるため、当該個人は常時不安定な生活を余儀なくされ、人権尊重上極めて好ましくないことは、いうまでもない。

このように、現在の国際社会において国籍の抵触が不可避的に発生し、国際平和の維持及び人権尊重の面からこれを放置しておくことができないため、国籍の抵触をできるだけ防止して国籍唯一の原則を実現することは、国際的に承認された国籍立法の理念とされているのである。

2  現行の国籍法は、昭和二五年に制定されたもので、旧国籍法と同じく父系優先血統主義を採用さているが、立法の際の国会審議における政府当局の説明等によれば、その当時において原則的あるいは補充的に血統主義を採用している各国の国籍立法のうちで母系主義を原則とするものはその例がないため、もしわが国が父母両系血統主義を採用すると、父が血統主義をとる外国の国民で母が日本人の場合には常に子が重国籍となるので、主として国籍の抵触防止の見地から、父の国籍を優先させたものであるとされている。国籍法が、旧国籍法と較べて重国籍の防止に相当の考慮を払い、そのための規定として四条五号、八条ないし一〇条等を設けていることから考えると、父系優先血統主義を採用した主たる目的が右説明のとおり重国籍を防止することにあつたとの点はこれを認めるべきである。

右のような重国籍防止の目的は、1で述べた重国籍の弊害からみて、国の重要な利益に合致するものであるとともに、当該当事者個人にとつても結局のところ利益となるものである。重国籍当事国が友好関係にあり相互に重国籍の調整措置を設けているような場合だけを想定するならば、重国籍の不都合はさして表面化しないけれども、そうでない場合のことをも考えて一般的に論じる限り、重国籍の防止が重要であることは明らかである。現実に重国籍が生じた場合の具体的な法律関係の処理としては、例えば、重国籍の一方が自国籍であるときは本国法の決定につき自国籍を優先させるとか、重国籍がともに外国籍のときは住居所所在地の国籍を基準とするといつた解決策が従来から若干の条約や立法等において採用されているが、それらは重国籍によつて生じる問題の一部を解決するものにすぎないし、また、それらの解決策のすべてについて国際的承認が得られているわけでもないのである。したがつて、そのような解決策があるからといつて、重国籍そのものの防止を図ることの必要性を過小評価することはできない。

3  そこで、右重国籍防止の目的を達成するための手段としての面から父系優先血統主義について検討する。

(一)  重国籍の防止方法としては、重国籍の発生を抑止する方法と、発生した重国籍を事後的に解消させる方法とがある。重国籍者の意思により一方国籍の放棄あるいは選択をさせるのは後者の方法であるが、この方法は、いずれの重国籍国においても国籍の離脱が自由に認められていることを前提とする。今日、国籍離脱の自由の原則が国際的に一応承認されているとはいえ(憲法二二条二項、国籍法一〇条参照)、なお一定の場合(例えば、一定の年齢に達する前あるいは兵役義務を履行し又は免除される前など)にはこれを禁止ないし制限する立法例もみられるのであるから、このような禁止ないし制限のある国の国籍と日本国籍とを有する重国籍者は、日本国籍の保有を望む限り重国籍状態を継続していくほかはない。このため、関係諸国との間において重国籍解消のための効果的な国際的取決めが成立するまでは、重国籍の発生自体をできるだけ少なくする必要がある。

(二)  もつとも、重国籍の発生を少なくする必要性があることは右のとおりであるとしても、各国の国籍立法に多様性が存在している国際社会の現実の下では、その実現には一定の限界を免れない。すなわち、父が日本人で母が父母両系血統主義をとる外国の国民である場合には、わが国が父系優先血統主義を採用しても、重国籍の発生を防止できないし、また、生地主義をとる外国において父を日本人として出生した場合にも同様である(ただし国籍法九条参照)。このように父系優先血統主義をとつたからといつて、重国籍の発生を完全に防止できるものではない。しかし、それだからといつて、父系優先血統主義が重国籍を防止するための手段として無力であるというのは早計である。なぜなら、父が父系優先又は父母両系の血統主義を採用する外国の国民で母が日本人である場合に、わが国が原告のいうように父母両系血統主義をとれば子が常に重国籍となるのに対し、父系優先血統主義によれば子が重国籍者とならないのであり、父系優先血統主義が重国籍の防止に寄与するからである。そして、原則的あるいは補充的に血統主義をとる国で父系優先主義を採用している国は世界的になお少なからず存在し、殊にわが国における在留者数等からいつて渉外的婚姻関係の生ずることが多い韓国をはじめアジア諸国がおおむねそうである現実を考えると、わが国が父母両系血統主義をとることによつて重国籍が発生し、父系優先血統主義をとることによつてこれを防止し得るという事態は、具体的に相当程度予測されるのであつて、決して単なる観念上の規定にすぎないものではない。この点で、父系優先血統主義は、わが国の現実の状況の下では、重国籍の発生防止に相当効果のある措置ということができる。この父系優先血統主義に代つて、他の利益を損うことなく、かつ、これと同じ程度実効的に重国籍の発生を防止し得る別の法手段を見出すことはむずかしい。

4  父系優先血統主義には右のような重国籍発生防止の効果がある反面、これによると、日本人母の子は父が外国人である限り原則として生来的日本国籍を取得できないこととなるばかりでなく、場合によつては無国籍となることがあり得る(生地主義をとる外国の国民を父として日本で出生した場合など。)重国籍防止のために無国籍を生じさせること自体行きすぎというべきであるし、また、個人の人権尊重を第一義とする近代の傾向からすれば、無国籍の防止は重国籍の防止よりも重要であり、もし両者が抵触し二者択一を迫られるときは、前者を優先させるべきものであろう。

そこで、この点につき国籍法がいかに対処しているかをみるのに、国籍法は、右のような立場におかれた子につきいわゆる簡易帰化により日本国籍を取得する途を設けている。すなわち、これらの子が日本国籍を有しないことによる不利益な効果は、子が日本に在住し将来も日本で生活をしようとする場合に現実化するものと考えられるところ、国籍法六条二号は、「日本国民の子(養子を除く。)で日本に住所を有するもの」について、普通の場合に要求される帰化の条件を大幅に緩和し、当該子が無国籍の場合には同法四条三号及び六号、外国国籍を有する場合には同条三号、五号及び六号の各条件に適合すれば帰化をすることができるものとしている。そして、右帰化によつて日本国籍を取得したときは、公法上及び私法上いかなる点においても生来的日本国籍を有する者と差別されることはないのである。右法定の帰化条件のうち、四条三号の「素行が善良であること」及び六号の「日本国憲法施行の日以後において、日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを企て、若しくは主張し、又はこれを企て、若しくは主張する政党その他の団体を結成し、若しくはこれに加入したことがないこと」という条件は、幼年の子については実際上問題となり得ないから、子が無国籍の場合には、その帰化は実質的にほぼ無条件に近いことになる。これに対し、子が外国国籍を有する場合には、更に同条五号の「日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべきこと」という条件があるので、当該外国が他国への帰化による国籍の喪失を認めていないときは、日本への帰化が制約されることになるが、右五号の定める帰化条件は、帰化によつて重国籍が発生するのを防ぐためのものであるから、当該外国の法制において、他国への帰化により自動的に国籍を喪失することとされている場合だけに限らず、例えば帰化当事者から他の国籍を取得した旨の届出ないし意思表示があれば国籍を喪失することとされている場合などをも含むものと緩かに解する余地があり、これを含めると、今日では、同号の存在が帰化の障害になる場合は諸国の立法例からみてさほど多くはないのである。また、外国国籍を有する子が同号の規定によつて帰化を認められない場合があり得るとしても、現に特定の外国国籍を有する以上は、自己の権利義務の実現について最終的に当該国家の法的保障を受けることができるのであるから、人権尊重の見地からは右の法的保障が全くない無国籍者の場合と同列に論じることはできない。

もつとも、国籍法上、帰化は個人の権利ではなく、その許否が国家の利益保護の見地から法務大臣の裁量的判断にかかつているけれども、日本人の子につきその血縁的及び地縁的関係を考慮して特別に日本国籍の取得を容易ならしめようとしている趣旨に照らせば、よほど特別の事情のない限り、右の子が法定の帰化条件をみたしているにもかかわらず裁量によつて簡易帰化を不許可となし得る場合は考えられないところである。右制度の実際の運用がこれと異なつて行われていると認めるべき資料はない。また、国籍法一一条の規定によれば、一五歳未満の者の帰化申請は法定代理人が代わつてするものとされ、何びとが右の法定代理人となるかは法例二〇条の定めることとなつているので、これにより法定代理人となり又はならなかつた外国人父が子の帰化を望まないときは、日本人母が帰化を望んでも、法律上又は事実上帰化の申請をすることができなくなることが考えられるが、幼年の子の帰化については父母の一致した意見によらせることが一般的に子の福祉にかなうのであるから、日本人母のみの意思による単独の帰化申請が許されていないからといつて、簡易帰化の制度を実効性のとぼしいものであるということはできない。

5  国籍法における国籍抵触防止の目的と父系優先血統主義との関連性及び父系優先血統主義の採用に伴つて生ずる結果についての同法の対応策は、おおむね以上のとおりである。これによつてみれば、国籍立法上、重国籍の発生を防止すべき必要性は否定し難く、また、そのための措置としてわが国が父系優先血統主義をとることは、一定の限界があるにせよ、現実的に相当の効果を発揮するものであるということができる。そして、このような父系優先血統主義に代わつて重国籍の発生そのものを効果的に防止し得る他の手段が容易にあるわけではない。問題は、これらのことが父母の不平等取扱を正当化するに足りるものであるか否かである。

一般的にいえば、重国籍防止の理想は両性平等原則と調和的に実現すべきものであつて、重国籍を防止するためであれば父母を差別すること(その結果として無国籍の子をも生ぜしめること)が当然に許容されると解することはできない。右に述べた父系優先血統主義の重国籍防止における必要性と有用性からみて、重国籍を防止する立法技術としての父系優先血統主義の合理性を低く評価することは相当でないが、その評価も、他の諸国において採用する立法主義のいかんや、両性平等原則の具体的内容についての時代的要請などに応じて変遷することを免れないのであつて、現代における両性平等原則の意義と価値に照らすときは、単に重国籍防止における必要性と有用性を強調するのみでは、父系優先血統主義が憲法の精神に反するものでないことを基礎づけるにはなお不十分であるといわなければならない。

ところで、日本国籍は、生来のものであれ、帰化によるものであれ、その法律上の効果に差異はなく、生来的取得と帰化とは、両者相まつて国籍法の日本国籍付与に関する制度を構成しているものである。本件において原告が違憲と主張している父系優先血統主義は、右のうち生来的取得に関するものであるが、生来的取得と帰化とが右のような関係にあることからすれば、その制度としての合理性を判断するにあたつては、生来的取得のみを弧立して論ずべきではなく、これを補完するものとしての帰化に関する制度が存在することをも考慮に入れたうえで決定することが必要である。そこで、この見地に立つて帰化に関する制度をみると、国籍法は、4で述べたとおり、父系優先血統主義の結果、日本人母の子で日本国籍を取得できないこととなる者について簡易帰化の途を開き、日本人父の子と差別のない地位を取得することを可能ならしめている。この簡易帰化が完全には自由でなく、また、取得する国籍が生来的のものであるか帰化によるものであるかの違いは心情面等において微妙なものがあるにしても、父系優先血統主義による差別的不利益、殊に子が無国籍になるという人権上の不利益は、これによつて結果的にかなりの範囲において是正が図られているということができる。この点は、国籍法の定める日本国籍付与に関する制度を全体としてみる場合に無視し得ないところである。

以上のことから、当裁判所は、国籍法の父系優先血統主義の父母の性別による差別は、前述した重国籍防止における必要性及び有用性のほかに、右のような補完的な簡易帰化制度を併せ伴う限りにおいて、立法目的との実質的均衡を欠くとまではいえず、これを著しく不合理な差別であるとする非難を辛うじて回避し得るものであると考える。もとより、一切の差別を設けず、かつ、国籍の抵触を生ぜしめない制度が理想であることは当然であり、国籍法の制定当時から諸般の事情が相当に変化している今日の状況下においては、父系優先血統主義に代えて重国籍を防止しながら父母両系血統主義を採用することがなおできないかどうかは十分考慮に値するものであるが、現行の制度をもつて著しく不合理なものであるとまではいえない以上、これを将来にわたりいかにするかは、諸般の多角的検討を経て慎重に決定されるべき立法政策の問題であるといわざるを得ない。

結局、国籍法二条一号ないし三号の規定は、出生による日本国籍の取得につき父母のいずれが日本人であるかによつて差別を設けるものではあるが、以上に述べた理由によつて、これを憲法一四条及び同条の理念を基礎とする憲法二四条二項に違反するものということはできない。

五原告は、国籍法二条の前記規定の下で外国人父と日本人母の子に日本国籍を取得させようとすれば、父母が内縁関係に甘んじなければならないなど公序良俗違反の状態を生じさせるほかないから、右規定は憲法一三条及び二四条二項に違反すると主張する。

しかし、四で述べたとおり、国籍法が父系優先血統主義をとつて子の国籍を原則として父の国籍に従わせていることを著しく不合理とはいえないのであるから、それにもかかわらず当事者が子を母の国籍に従わせようとする場合のことを前提として、同法の規定を非難するのは当たらないというべきである。

六原告は、更に、右国籍法の規定によれば本件の場合に原告は無国籍となるが、日本人の子を無国籍たらしめるような規定は憲法一三条及び一四条に違反すると主張する。

重国籍防止のために無国籍を生ぜしめることは行きすぎであり、人権保障の見地から無国籍の防止が要請されていることは明らかであるが、国籍法は、前述のように無国籍者について無条件に近い簡易帰化の制度を設けていることを考えると、父系優先血統主義の規定により、日本において日本人の子として出生した者が無国籍になることがあるとしても、それだけで直ちに右規定が憲法一三条及び一四条に違反するということはできない。なお、日本人から生まれた子が憲法によつて日本国籍の取得権を具体的に保障されていると解すべき根拠のないことは三で述べたとおりである。

七以上によれば、国籍法二条一号ないし三号の規定を違憲とする原告の主張はいずれも理由がないというべきである。

そして、右国籍法の規定と一に記載した事実によれば、原告は出生により日本国籍を取得することができないものというほかはない。もつとも、同条三号の規定は、父が知れない場合又は国籍を有しない場合に、父系主義によると子が父の国籍を取得できず無国籍となるのを防ぐため、母の国籍に従つて日本国籍を取得させることとした規定であるから、本件のように、形式的には父が知れない場合又は国籍を有しない場合でなくても、何らかの事情により子が父の国籍を取得できず無国籍となるときは、右規定を類推ないし準用して、母の日本国籍を取得させるべきであるとの見解があり得ないではない。しかし、生地主義をとる外国の国民を父とし日本人を母として日本で出生した場合には常に本件と同じく無国籍が発生するのであり、このような当然発生が予想される事態について国籍法があえてこれを対象とした規定を置いていない反面、日本人の子でも無国籍となる場合があり得ることを予想した規定(六条二号、四条五号前段)を置いていることから考えれば、本件についても前記三号の規定を類推ないし準用することは相当でないと解すべきである。

八よつて、原告の請求は失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(佐藤繁 泉徳治 岡光民雄)

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